「今日だけでいいの」

見上げる真剣な瞳に戸惑う。

自分の立場を考えれば、到底受け入れることの出来ない事であることは明白で。

きっぱりと断る言葉を告げなければならないことは理解していた。

だが。

「・・・お嬢様」

「お願い、フィル」

今にも泣き出しそうな潤んだ瞳。

俺がこの瞳に逆らえたためしがない。

もしこれが、計算された表情だとしたらどんなによかっただろう。

そうだったならば、拒絶の言葉をこんなに躊躇したりはしないのに。

「どうかお許し下さい。私はあなた様に、この屋敷に仕える者なのです」

ゆっくりと片膝をつき、深く頭を下げる俺には手に取るようにわかる。

今、彼女に浮かぶ表情と。その頬に伝う涙が。

けれど今の俺には、その涙をぬぐうことは出来ない。

頭を上げれば、きっと望みをかなえてしまう。

そしてそうなれば、今日だけでは終わらないこともわかっていたから。

「・・・わかりました。我侭を言ってごめんなさい」

震える小さな声でそうつぶやいて、彼女は頭を上げようとしない俺の横をすり抜け部屋を飛び出していった。

胸が痛まないわけではない。

だが、彼女の望みを叶える事ということは、彼女の未来を奪うことになるのだ。

俺一人が罪を背負うならいい。

彼女を巻き込むわけにはいかない。

たとえ彼女が望まない相手と結ばれることになったとしても。

 

「連れ去ってあげればいいのに」

窓の外からかかった、よく知る声に驚いて顔を上げると、そこにはここに現れるはずがない人物が笑顔で

手を振っていた。

「ティス・・・お前、どうして」

「自分の仕えるお嬢様の婚約者くらい、把握しておけないようじゃ執事失格だよ。兄さん」

立ち上がり、風が吹いて揺れる白いカーテンに導かれるように部屋の中に入ってきた弟と存在を確かめ合う

ように軽く抱き合い、互いの背を叩く。

俺が家を飛び出してから5年。

久しぶりに会う弟は、別れる前と変わらない笑顔でそこに立つ。

そう、きっと。

自分の仕えるお嬢様の、婚約者として。

俺が逃げ出した、伯爵職を継がされたはずの弟は、傲慢な父親に従ってこの話を受けるしかなかったのだろう

から。

「・・・すまない」

「どうして兄さんが謝るの?大丈夫、この道を選んだのは僕自身だ」

確かにそうだ。

けれど、俺が家を出ると言った時。ティスにはその選択しかなかったのではないかとも思う。

この優しい弟が、例えどんなに最低な父親だったとしても。切り捨てられないことは俺が一番わかっていたの

だから。

一緒に行けない。

その返事を、俺はティスの口から聞く前に知っていたはずだ。

「今日はあいつも一緒か?」

「うん。今回の話は父さんがすごく乗り気でさ。話を逸らしきれなくて」

だから・・・とティスは続けようとする。

その言葉を聞く前に、無言でそれを遮って。

ゆっくりとうなずいた。

「ありがとう。愛してるよ」

「僕も。もう二度と会えなくても、ずっと兄さんの幸せを願ってる」

最後にもう一度、きつく抱きしめて。

そして俺達は別れを告げた。永遠になるかもしれない別れを。

 


「お嬢様」

部屋の扉をノックすると同時に声をかけ。

執事にはあるまじき行為をするために、返事の言葉を待たずにその扉を開ける。

「フィル?」

いつもとは違う俺の行動に驚いたのだろう、思わず立ち上がった彼女の頬にはまだ涙の跡が残っていた。

慌ててその雫を隠すように、作り笑顔を作る彼女の前に膝をついてその顔を見上げた。

「セリーシア」

初めて呼ぶ彼女の名前。

俺を拾い、自分付きの執事として雇うことで俺を救ったこの主人を。

奪うために。

「・・・はい」

真剣な俺の目を、それよりも真剣な瞳で見つめ返して。

彼女は俺の呼びかけに答えようとしてくれている。

その瞳で迷っていた心が吹き飛ばされた。

彼女と弟を、自分の弱さの犠牲にしたくはない。

もうこれ以上、逃げ出すことはしたくないと。

幸せを祈ってもらうのではなく、俺が幸せにしたい。

「私・・・いや、俺と。ずっと一緒に生きて欲しい」

「私も、フィルと一緒に生きていたい」

こぼれ出す涙を今度は隠すことなく、溢れんばかりの笑顔とその言葉が。

俺の幸せへの第一歩で。

戦いへの第一歩にもなった。



彼女の手をとり応接室に入って。

驚くこの屋敷の主人夫妻の顔と。

険しい父親の顔と。

困惑するティスの顔と。

目に浮かぶような光景の中、俺はきっと、いや絶対に言えるだろう。

彼女を愛している、と。

執事として、彼女の幸せを遠くから見守るのではなく。

男として、すべてを捨てさせて彼女を奪い去るのではなく。

フィルという個人として、彼女を幸せにするために。

逃げ出した家に、戻る選択をする。

屈服するのではなく。自由になるために変えてみせる。

「行こうか、セリーシア」

差し出される手を、躊躇なく取ってうなずく彼女に笑顔を返して。

俺達は応接室へ向かった。

 

 

END

 


Reflection
やばい、コレ「執事」じゃなくね?
香音ちゃんの「執事」を踏まえて(笑)明るい方向を模索しつつ書いていたら、どんどんお題から逸れる罠・・・
でもなんかもう直しようがない展開になっていったので、途中から諦めました。

今更執事に戻れないよ!もういいよ、なんかいろいろ飛び越えて伯爵になればいいさ!!
みたいな・・・すいません・・・。
読んでいただいてありがとうでした。