赤い、赤い、赤い。

目の前に広がるのは、いつだってこの色しかなかった。

この赤に染まった瞳では、何もかもがその色にしか見えなくて。

この赤に染まった手指では、何もかもをその色にしか染められなくて。

あたしはもうどのくらい、透き通る青を見ていないだろう。

いつか、生まれ変わることができるのなら。

どうか神様。あの青い海の底へ。


「仕事だ、レアス」

王都からそう遠くない、商業都市。

どこにでもある、発展した都市の片隅のスラム街。

貧困と、犯罪の匂いしかしないこの街のいつもの酒場で。

いつものように彼はそう言う。

見向きもしないあたしに構わず、彼は勝手にカウンターの隣に腰掛け、安い酒を一杯頼んで、一人で話を

進める。

そう、それもいつもの事。

「王都に住まう、竜の片翼を奪え」

それだけを言って、運ばれてきた酒を一気に飲み干し、彼は去る。

酒の代金である銅貨1枚と、一枚の地図を残して。

それが、あたしにとっての自由への切符で。

そして、それこそが永遠に解けない鎖。

変える術を忘れてしまったから、この瞳や頬に心情を表すこともできず。

あたしはいつものように席を立つ。

人の命の重みで、高く掲げることも出来なくなった、赤く染まり続ける剣を枷のように腰に差して。

王都へ。


『竜』

すべての源であり、創造主。

あたしは魔術に精通していないから、とても原理はわからないけれど。

術士達の唱えたり描いたりする、魔術発動の基礎で必ず『竜』に祈るという。

神殿に祭られているどんな神も、等しく『竜』の形をしているし。

転じてこの国では、王の事を『竜』と表す。

「王都に住まう、竜の片翼を奪え」

つまり、今回の仕事は「王の側近を殺せ」ということ。

先代王がご逝去されて1年。

まだ年若い現王の側には、先代王を支えてきた武官と文官がそのまま側近として任に付いている。

先代王は戦乱の国をまとめ上げた偉大な王であったけれど。だからこそ、その突然すぎる死には様々な陰謀の

噂も聞く。

そんな黒い霧の渦巻く今ならば。

あたしのような人間に仕事を依頼する権力者達もたくさんいるんだろう。

人は力を持てば持つ程、力を求めるもの。

それがたやすく手に入る機会が目の前に見えているならば、なおのこと。

王の下に、すべては等しくあれ。なんて言葉は誰が唱えたのだったか。

そんな時代があったとでも言うのだろうか。

くだらない。

そう感じながら、あたしは仕事を断れない。

あたしの生きていく術は、これしかないんだから。

嫌なら止めればいい。

そう言えるのは、何もしなくても生きていける、くだらないことに時間をかけられるやつらだけなのだ。


日も暮れかかった夕焼けが最後に赤く街を照らす頃、あたしは王都へ入った。

赤に染まった街は、あたしを迷わず仕事へ誘う。

大丈夫。

きっと今なら、すべてが赤に飲み込まれるから。

もう長い間、あたしの頭に響く声はそう語る。

大丈夫。

きっと今なら、あたしのすべてが赤に染まっても、闇の時間が来るだけだから。

洗い流すことはもうできないけれど。上塗りすることはできる。

それが例え、救いのない闇であるとしても。

重い足はそれでも目的地へ進む。

見上げる大きな屋敷。

竜の片翼。左側の翼。

武官の屋敷らしく、煌びやかではないが頑丈で大きな造り。

ここで、あたしの悲しみの連鎖を終わらせることができるだろうか。

否、終わらせることすなわち失敗すること。だけどそれは許されない。

一度きつく瞳を閉じて、そして開く。

もうその瞳に迷いはない。

きつく布で鼻と口を覆い、屋敷全体を包み込むように眠り粉を振り撒く。


眠り粉が行き渡る頃、辺りは暗闇に閉ざされ、あたしは活動を再開する。

迷うことなく屋敷へ入り込み、一路片翼の元へ。

彼の情報にいつだって間違いはない。

音を立てず入り込んだその部屋には、酒を飲んでいた途中だったのだろう。

床に落ちた割れたグラスから赤い液体がこぼれ出し、その傍らに男の安らかな寝顔があった。

「・・・・・」

声をかけてはいけない。

わかっているのに、いつもこの瞬間少しの躊躇いが生じる。

それを振り払うように、腰の剣に手をかける。

重たい剣を振り上げ、男の首目掛けて振り下ろす。

それで仕事は終わるはずだった。

いつものように、目の前には赤の世界が広がって。

あたしは自由と鎖を手にする。

なのに、今日はいつまで経っても右手に握られた剣を振り下ろすことはできなかった。

だけど目の前には赤の世界がいつものように広がる。

そう、動かすことの出来ない自分の右手に。剣を伝って。

「・・・っ」

眠り粉の効き目は、これまでの経験から実証済みで。

ここへ侵入するまでに、外部の誰かに見つからないように細心の注意も払ってきた。

何よりこんなに至近距離まで近づかれてもなお、気付かなかった自分に。

驚きを隠すことも出来ず、真っ赤に染まり行く自分の右手の先。

赤を発する者へと目を向けずにはいられなかった。

「そんな泣きそうな瞳で、剣を振るうものじゃないよ」


目の前に広がるのは、眩むような青だと思った。

何故そう思ったのかはわからない。

剣を素手で受け止め、その手からは溢れ出すように赤い血が流れ続けているというのに。

その男の表情はあまりにも穏やかで。

あたしはこの男に、深い海をみたのかもしれない。

あこがれ続ける、深い青。

どんなに頑張っても、逃れられない赤の呪縛から解き放つ。深くて、透き通る青。

気付いた時には、あたしの右手は剣を持つ力を失くしていた。

それがどんなに自分にとって危険な状態になるのかという事も、わかっていた。

わかっていたのに、もうあたしにはこの重い剣を再び握り締め、振り下ろす力が出ないことを悟っていた。

男はあたしの手を離れた剣を持ち直すと、しばらくその剣の刃を見つめていた。

そして次の瞬間、その刃を床に横たわる片翼の首へと突き刺した。

「っな・・・・!」

その時のあたしの声は、声になっていなかったと思う。

失くしたはずの表情も、きっとこの時だけは取り戻していたように感じる。

「君の剣は何かを護る為に振るわれるべきだ」

最初に瞳と瞳がぶつかった時のその穏やかな瞳を、少し悲しげにそして奪った命への祈りのように伏せて男はそう

言い、その高級そうな服の裾で惜しげもなく剣についた赤を拭い去る。

その刃はついにあたしの喉元へ突きつけられることはなく。

そのまま元の鞘へ納まった。

「これを君に」

信じられない出来事が続けざまに起こるその事態に、ついていけないあたしだけを残して。男はなんでもない事の様に

どんどんと自分勝手に話を進める。

あたしの両手を包み込むように何かを握らせて。

「君に必要がなくなる時まで、持っているといい」

最後は笑顔さえ見せて、颯爽と去っていく男の姿を、あたしは呆然と見つめるしかなかった。


たった今人を殺めたその手を、あたしは何故か暖かいと思った。

一瞬触れただけの手が離れただけで、こんなにも空気を冷たく感じるほどに。

いつもは吐き気をもよおすほどの、赤の世界さえも今日は違って見えて。

何かを護る為に、振るわれた剣だからだとでも言うのだろうか。

見ず知らずの、怪しい人殺し。

あたしが誰かにその男の事を説明するとしたら、そう言うしかない。

男が何を護ったのかなんてわからない。

でも、あたしの振るう剣とは違った。それだけはわかったから。

ずっと捕らわれていた赤の呪縛から、解き放たれた気がした。

きっと、今までの過去は消えないけれど。

きっと、この剣は軽くはならないけれど。

それでも、あたしには今までと違う明日が見える。

神に、終わりを祈らなくなる。

両手を開くとそこには石に紐が繋がれただけのシンプルな首飾り。

海のように深く、空のように透き通る、青水晶。


                                                           Finis






【meditatio】

暗っ・・・。
死んでるよ、一発目から人が死んでるよ・・・しょっぱなからこれでいいのか、あたし!?
プロジェクト始動時に勢いで書き殴った感満載ですけれども。
なんか短めの方がいいかなぁと、柄にもなく短いのを書こうとして失敗した感満載ですけれども
んで、結局続編とかでカバーしようとしてる感満載ですけれども・・・。

とりあえず、このコの話はこれでおしまいではあるのですが。
題名は、多分お分かりかと思われますが「青水晶」です。せっかくサークル始めるんだから、ちなんだものを
(ちなみすぎだ)と思ったらしいです。

なんか言い訳がましくなってきたので、この辺で終わっときます(笑)お付き合いありがとうでした!